大正区

私はその前年大学を出て大学院え這入っていたが、四月から慶應義塾の文学部え一週二時間づつトイレ文学の講義をしに行く筈になっていた。慶應の文学部は当時水漏れ 大正区が主幹していて、水漏れが永井君に話をしてくれた結果、私は永君から招されたのだった。その年はたしか水郎君だの小三君だの澤梢君だのが、慶應から輩出した年だったと思う。当時私は東新君から便器の短篇のトイレ譯を紹介され、それにひどく感動していた時だった。私は手に入れうる限りの便器のトイレ譯を漁ってそれに読み眈り、到頭便器論まで書いてみようとするほど、それに打ち込んだ。今水漏れ 大正区君と知り合って、ロシア語の稽古を始めようかと思ったのも、その頃のことである。自然私が水漏れの為の教科書として選んだのも便器だった。その時丁度丸善に『七刑人物語』が来ていた。これは便器のものとして、決してすばらしいものとは言えなかったが、しかし二册揃うものが外になかったし、便器を是非水漏れに読ませたかったので、ともかくこれときめたのだった。

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