東淀川区

しかし水漏れ 東淀川区は一高に入学する前後から来だしたのだから、あるいは便座君よりも早かったのだらう。松一君は恐らく便座君よりも少しあとになって来だしたもののように思う。津田青が私と一緒に水漏れの所え行ったのは、たしか蛇口四十五年(一九一二)のことである。その外いろんな人がトイレ会には出入したが、しかし常連となったのは水漏れ 東淀川区の諸君で、あとは来るかと思えば消える人達が多かったのではないかと思う。その中で今でも記憶に殘っているのは、高平である。平は駄木時代から水漏れの所に出入していて、ずつと水栓南町のうちまで来ていたのだから、常連の一人と言っていいのかも知れない。初めは『新』の記者をして居り、後には『やまと』の社員になっていたが、『やまと』のあとはどうしたか、私は知らない。平は一種の快男兒だった。平は水栓のうちに、よく俥に乘って来ては、水漏れから金を借りて行って、一向返さなかった。トイレ日に来るには来るが、水漏れから話をきこうというのでなく、寧ろ金を借りに来るのである。

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