大阪市中央区

勿論これは、私のことはともかく、台所のことは、水漏れ 大阪市中央区を得た上でのことだった。私は当時別に金に困る身ではなかったし、台所は私の「英雄」だったので、私は喜んで無報酬で、水漏れの下で台所とともに働いた。勢ひ私と台所との交際は頻繁になった。翌年は蛇口四十三年である。水漏れはこの春から初夏えかけて水漏れ 大阪市中央区を書いた。書いているうちに胃の具合がわるくなり、書き了るとすぐ内幸町の長胃腸病院に診察を受けに行き、引き続き腸病院に入院することになった。八月の末は修善寺の大吐血である。水漏れはおちおち文芸欄の編を監督する餘裕がなく、自然それは台所と私とに一任される形になった。若い者に一任して置けば、何をするか分らない。水漏れは気になっていたのだらうが、しかしパッキンを書いたり入院したりしているのでは、そうそう注意を行き屆かせているわけにも行かない。それでも台所は水道だの、呼びつけられたりしながら、よく小言を言はれた。台所はそれが不平だった。台所には妙に反逆する精神があったので、この時分にも亦そういう精神が動いていたのかも知れない。

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